【略歴】
大学を卒業後、複数の民間企業にて営業・広報・秘書等を経験。国家試験に合格し、行政書士事務所を開業。
仕事のご縁で羽村市に出会い、自民党の公募に合格。
2023年春の羽村市議会議員選挙に立候補し、1,484票を賜り初当選(1位)。
【会派・所属委員会】
・新政会
・環境まちづくり委員会委員
・多摩都市モノレール建設促進及び公共交通対策特別委員会委員
・西多摩衛生組合議会議員
・羽村市都市計画審議会委員
・広報委員会委員
【所属団体】
羽村市議会、羽村市消防団(第二分団)、羽村市商工会青年部、羽村市防衛協会、美原里山保存会、市民パトロールセンターはむら、富士見平第一町内会、富士見平おはやし会、友の会、東京都行政書士会(順不同)
【自由民主党】
自由民主党羽村総支部(副幹事長/五ノ神地区長/緑ヶ丘地区長)、自由民主党都連青年部(編集副部長)、自由民主党三支連青年部(選挙対策委員会副委員長)
【政治の志】
政治を志したきっかけは、学生の頃に抱いた“ 公(おおやけ)の役に立ちたい ”という気持ちでした。
学生の頃から歴史のファンで、現存する資料はもちろん、大河ドラマ、歴史番組、小説など、フィクションを交えた歴史にも親しんできました。
その過程で、歴史上の人物が“ 世のため・人のため・日本のため ”に生きた人生に感銘を受けました。
思えば、18歳の頃には、彼らのように“ 公の役に立ちたい ”という政治への想いが芽生えていました。
政治一家でも経営者一家でもない私には、政治の道は困難の連続でした。
仕事の面では、アルバイト・契約社員・正社員・パート・派遣社員・自営業を経験。
「この経験を、いつか必ず活かしてみせる。」と自らを鼓舞してきました。
様々な立場や働き方から、現代の日本社会を直視できたことは、今では大きな財産です。
とりわけ多忙であった時期は、行政書士として独立した頃でした。
事業が落ち着くまで、行政書士と派遣社員のダブルワークをしていました。
大手メーカーの工場で4勤2休の交代勤務をしながら、時には夜勤明けの寝る間を惜しんで行政書士の業務を遂行し、有給休暇を利用して「TOKYO 自民党政経塾(第16 期)」を修了しました。
人生をかけて、手探りで政治の道を求め、忍耐強く働き、貪欲に学びました。
仕事のご縁で羽村に出会い、行政書士とのダブルワークとして、今度は羽村市のゴミ収集のアルバイト作業員として働きました。
担当エリアは富士見平、五ノ神、神明台、双葉町、緑ヶ丘(三丁目)、川崎でした。
日々ゴミ収集の作業員として働くうちに、住民の皆さんの心の温かさにふれ、“ 小さくて愛らしい羽村 ”に惹かれました。
折しも羽村で自由民主党の公募(羽村総支部)があり、羽村のために活動する意思を固めて応募。複数の選考を乗り越えて推薦をいただくことができました。
そして、2023年春の羽村市議会議員選挙にて1,484票を賜り、今日に至ります。
政治の志が芽生えたのが18歳で、初当選が35歳でした。
振り返れば、早17年が経っていました。
“ 日本の伝統と秩序を守り、次の世代に伝えていく ”
“ 時代に応じ、現状をあらためる ”
これらは、市民の信託をお受けする議員にとって大事な役割の一つと考えます。
わたしは、先輩方が築いてくださった「花と緑の美しい町」を守りながらも、皆さんのお知恵をお借りしながら、トレンディで活気ある「羽村の未来を創りたい」と心に決めています。
子供であっても大人であっても、日常生活のふとした時に「何だかんだ、はむらって いいよね。」と、そのように実感できる未来を目指しています。
そのために、わたしはいつまでも市民感覚をもって活動し、若き行動力と開拓力で、まっすぐ、一生懸命に、この“ 小さくて愛らしい羽村 ”のために尽力してまいります。
【プロフィール】
出身地 |
群馬県前橋市 |
誕生年 |
1987年 |
趣味 |
車、腕時計、映画 |
好物 |
牛丼、珈琲 |
特技 |
ホームページ作成 |
最近のマイブーム |
ミックスナッツ(2024年9月現在) |
好きな単語 |
夢、自由、挑戦 |
出身校 |
駒澤大学 経営学部 経営学科 |
住んだことがある都市 |
前橋市、伊勢崎市、世田谷区、板橋区、横浜市、府中市、羽村市 |
【エピソード】
幼稚園
SLにのる私と妹
・ここで出会った友達とは、今でも近況を伝え合う仲。男の友情に感謝。
・乗り物全般に興味があった。電車、飛行機、車、バイクなどを見てはしゃいでいた。
・どういう訳か、将来は「ライオン」になりたかったことを覚えている。
小学校
夏の鈴鹿サーキットと冬のサッカー
・ミニ四駆、グランツーリスモに熱中した。自動車のファンになった原点。ホビーショップの「トミー」に行くとわくわくした。
・恐竜、ピラミッド、天体などに、子供ながら歴史のロマンを感じた。
・父と車旅をした。バイクレースの「鈴鹿8耐」を鈴鹿サーキットで生観戦。男旅・男キャンプは、色あせない思い出。
・2年生から6年生まで、地元のサッカークラブに所属。デビッド・ベッカム選手のファンだった。他にも水泳、極真空手、ピアノ、英語教室を習っていた。当時は忙しかったが、今思えば感謝しかない。
・放課後に友達とする「おしゃべり」が楽しみだった。習い事の前に少しだけだったが、たまに思い出すと今でもほっこりする。
中学校
フェアプレーを学んだソフトテニス
・ソフトテニス部に所属。練習はハードだったが、比例して部員の仲は深まった。学年の壁を越えて、テレビゲームやカードゲームで遊んだ。
・最後の夏の大会では、市大会(個人戦)で3位に入賞。精神を鍛えられた、最高の部活動生活だった。
・社会の授業で「映像の世紀」を視聴することが度々あった。近現代にも興味を持つきっかけになった。
・社会のなかでも歴史が得意で、脈々と続く日本の歴史に畏敬の念を覚えた。
・長らく日本の政治・文化の中心地であった京都に憧れた。京都に限ったことではないが、「ここに○○がいたのか~」「□□もこの景色を目にしたのか~」と思うと、トキメキがとまらない。
高校
田を耕す祖父
・農業にゆかりのある高校に入学。兼業農家の祖父に対する敬意が一層深まった。おじいちゃんが最後に育てた記念のお米を、いまでも大切に保管している。
・テレビで「F1」を観るようになった。実況が秀逸で、レースの感動がさらに高まった。闘志がみなぎるミハエル・シューマッハ選手のファンだった。2002年、2003年、2004年のマシンがカッコイイ。
・友人と「東京モーターショー2003」に行き、フェラーリのエンツォ、ポルシェのカレラGTといった本物のスーパーカーを目の前にし、胸がときめいた。
・愛読の雑誌は「GENROQ」。憧れのスーパーカーを切り抜いて缶の筆箱に貼り、受験勉強で疲れたときに眺め、気力を回復させていた。
・1年、2年時には「学習研究会」に所属。放課後に集まり、受験勉強をして帰る部活であった。ここで仲良くなった友達と受験勉強を支えあった。
・3年時に有名IT企業による経済事件が発生。時代の寵児と称される「経営者」と「法律・司法」の攻防に凄みを感じ、衝撃を受けた。これを機に、進路を経営学系・法学系に絞った。人生に影響を受けた出来事であった。
・日本史の学習を通じて「政治の力」がみえてきた。本来は素晴らしい力。リーダーによっては、毒にもなるし薬にもなる。この頃から「果たして自分ならどうか……」と頭をよぎるようになった。
・高校で出会い3年間ずっと同じクラスだった友人は、打たれ強く心優しかった。現在は群馬県で高崎市議会議員として活躍している。将来、高崎と羽村でつながりをつくりたい。
大学
モータースポーツはアツい!
・上京後、いわゆる大学デビューを経験。都会出身の友達は何かとスマートで、ファッション、ダーツ、カラオケ等の遊びを教えてもらい、楽しい日々を過ごした。
・1年生から4年生の夏まで吉野家でアルバイトをした。バイト仲間とスキルやランクのアップを競った。牛丼は青春の味。
・2006年の「F1日本GP」を観戦。父と二人で3度目の男旅(8耐×2回、F1×1回)をした。世田谷区から鈴鹿サーキットまで、父と交代しながら車を運転した。感慨深いものがあった。
・2年生からは教室前方に着席して貪欲に学んだ。授業には可能な限り出席し、3年間で卒業単位を全て取得した。
・大河ドラマ、時代劇、歴史番組、歴史小説、歴史ゲームなどにも親しんだ。フィクションを含むとはいえ、歴史上の人物が活躍するストーリーに心が躍った。好きな時代は幕末。故郷の前橋市は、山口県萩市と友好都市提携をしている。
・大学生時代は、自由な時間を利用して本をよく読んだ。駒澤ということもあり“ 禅 ”の本にも親しんだ。「さもしい心を捨て去り、自己鍛錬に励む」と己に誓った。
社会人
心身を磨いた選挙ボランティア
・立候補するための「条件」を自らに課してきました。それは「法律系の国家試験に合格すること」という条件です。司法試験・司法書士試験・行政書士試験のうち、司法書士試験の挑戦(辰已法律研究所・松本先生・リアリスティック3期生)を経て、行政書士試験に合格(伊藤塾・坂本先生・速修生)しました。
・私は政治家とは無縁の家系に生まれ育ちました。身内に会社の経営者もいない、ごくごく一般的な家庭の出身です。そんな私が“ 重責をになう議員 ”を志すからには、法律の基礎を事前に修得しておくことが、私にできる「市民への誠意」という信念がありました。
・新卒でブリヂストンの専門商社に勤め、民間の一般常識を学びました。政治・士業の道に踏み込んだのちは、司法書士事務所で司法書士補助者、行政書士法人で行政書士補助者として働きました。現在は行政書士としても活動しています。
・区議会議員の事務所を併設する行政書士法人に勤務。これが人生の大きな転機になりました。区議であり行政書士でもある師匠に、チャンスをいただき、育てていただきました。師匠は憧れであり、目標とする議員・行政書士です。
・政治の道を探し求めるなかで、本気でくじけそうになった時が何度もありました。資格試験にいたっては、一度はすっかり諦めていました。幸いにしてわたしは、人との出会いにより再起することが出来ました。退路を断って勉強に打ち込み、国家試験の合格を掴みとり、困難な状況を乗り越えることができました。
議員
責任世代として
・“ 今 ”のための政治では間に合いません。責任が持てる20年先の“ 将来 ”に思いをはせ、議員活動や一般質問などをしています。羽村の未来のためにベストを尽くします。
・富士見平に暮らす人生の大先輩から「人生は出会い、人は心」というお言葉をいただきました。まさに今の私があるのは、出会いという名の“ 人生のめぐみ ”のおかげです。
・私も政治活動を通じて多くの人と出会い、誰かの人生の役に立ちたい。願わくば、誰かの人生のターニングポイントとなるような、そんな存在になりたい。そのために、この“ 小さくて愛らしい羽村 ”で頑張ろう。そう心に決めています。
羽村市議会議員